武蔵野線、東所沢駅。

ロータリーの植え込みにはショウリョウバッタ。

精霊飛蝗、お盆の時期に現れる細長い昆蟲だ。

「豊かなる武蔵野」そして、駅前の広場は「豊かなそして優しい武蔵野を表現したもの」なのだという。

(昭和62年制定「所沢市民憲章」案内板より)

 

今日は東所沢駅から「角川武蔵野ミュージアム」まで、徒歩で辿ってみたい。

さてさて、

 

川沿いの向こうに建物が見えてきた。

敷地に沿って流れているこの東川は、この少し下流で柳瀬川に交わるようだ。

 

東所沢公園。

駅から徒歩で向かうルート上にちいさな林がある、というのはちょっとした幸せに思えた。

 

どどーん、と。

角川本社の社屋、オフィス側から眺めた「角川武蔵野ミュージアム」。

小川のほとりの方舟。東所沢に飛来した隕石。または、巨大な磐座のようにも見える、隈研吾さんによる建築。

見る角度によって輪郭が変わってゆく。

ひとかたまりの建物でありながら、内部の構造を全体像として把握するのはなかなか難しく、どこか謎を残すようなかたちだ。

 

武蔵野令和座神社。


祈祷の最中に遭遇。

祝詞があげられていた。

青梅の御嶽神社や秩父の三峯神社など、武蔵野の山岳地には、狼を眷属とする神社の一群があり、この社にも狛犬の代わりに狼の像が置かれているのだった。

 

いよいよミュージアムに潜入してみる。

入り口でいきなり荒俣宏先生の顔が七変化する、インスタレーション。

すでに子供が釘付けになっていた。
「ほら面白いよ、キラキラしてる、あ、地球になった!」お父さんに説明している。

 

「変わってる昆虫」のコーナーに展示されていた、オトシブミという昆虫の仲間。

極小世界の中にまた小宇宙が。

 

天井から逆さ吊りにされていたワニ。

何故こうなっているのか?は、確認し忘れました。ごめんなさい。

 

眼球譚。見ているこちらが、

見られている!?

 

こちらは鉱物の一種。

細かく枝分かれした模様は物質の生成過程を表しているよう。

 

「エディットタウン」という名の、ユニークな図書館。

「遊民」「縄文」といったふうに、カテゴリー分けされた本棚に、さらに分入ってマニアックな興味をひくタイトルが並ぶ。松岡正剛さんの選書、というより、松岡さんの本棚そのままなのかもしれない。

 

ギャラリーでは、俵万智さんの展示。

文脈の読み解き。

そして美しく楽しくポップな遊び。
展示のされかたが素敵で、どこを切り取っても絵になる。

若く初めてかもしれない人も、往年のファンであろう人も、スマホ片手に写真を撮っていた。

 

やや専門的なコーナーで、人もまばらだったけど、ジオグラフィックで考古学的な「武蔵野研究」のコーナーも充実していた。

武蔵野台地に縄文遺跡があった場所に印がつけられた地図。

縄文時代は海の水位が高く、多摩川も狛江のあたりまで入江だったことがわかる。

 

外に出ると午後の光。


多面体構造の建物が、日時計のように時の経過を教えてくれていた。

 

子供達が水浴びをする池越しに見える向こうの公園(朝、通りがかった公園)では、夜に行われるライトアップの準備だろうか、さっきまで被せられていた覆いが外されて、銀色のオブジェが見えた。

幻視的な生命の卵のような。

チームラボのインスタレーション

 

 

明治遷宮以降の「東京」という枠組みからいったん離れ、「武蔵野台地」という地形の持っている器としてのポテンシャルに意識的になってみよう、というコンセプト。

この施設の意味は、資料を紐解き時間軸の中をさかのぼってみたり、いまこの場所に身を置いて感じてみたり、してみてね、ということなのかもしれない。

 

移転は、大きな会社としてはかなりの思い切りだったはずだ。

そもそもどうして引越しを?から始まって、企業と地域の関係性とは?公共との相違点、共通点とは?文化的な連携とは?、と、いろんなことを考えてみたくなった。

(たいそうざっくりとした感想だが)地元との連携の仕方が今後、鍵になってくるように思えた。

 

森というのは人間の理解を超えたカオスを抱えていて、イメージの源泉。

であるからには、

武蔵野台地の深部と対話する巨大装置のような施設から、どんなコンテンツが生まれてくるのか。今後も注目していきたい。

 

角川武蔵野ミュージアム

 

 

帰り道、畑の真ん中の猫と目が合った。

抜けのある空間にひょっこり何かが現れる。

昔から知っている、このあたりの風景だ。