エアコンとヒーターの切り替えが悩ましい。
「窓開けて走りましょうかね」そんな言葉の発せられる、秋の午後だった。
幹線道路が整備された現在でも道幅が狭いままの、旧い街道が、忘れかけた記憶を留めるシナプスのように、辛うじて繋がっている。
車窓を流れてゆく風景のなか、時代の記憶を辿るように、練馬区野方から所沢の方面へと車は進む。
なじみのある新所沢のまちなみから、少し北に行ったところに当麻園芸はある。
レトロな看板の掲げられた入り口から、人の流れるままに続いてゆくと、育苗施設の連なりの中に、会場があった。
広い敷地のなかにいくつかある温室のひとつを、新たにリノベーションしたのだという。
何人か見知った顔ぶれの中、ひと際くっきりとした輪郭を描く彼が現れた。
写真を撮らせてもらうと、空間と時間がいきなりシンクロした。
ドープな珍奇植物たちがひしめいている温室。
AIによる検索エンジンと流通網の進化は、こういったフェティシズム=植物への偏愛、その熱量に、いつの日か追いつくことがあるのだろうか。
植物の織りなすシルエットが楽しい。レストランで見かけた浮世絵を思い出した。
ふと見れば床にはウルトラマン。特撮系の現場に遭遇だ。
色彩ゆたかなケーキが、季節を模した風景画のよう。とてもおいしい。
温室という、普段は植物が主人公の居住空間に、漂着した種子のように滞在し、ともに音の波に身体を浸す。
原初的な祝祭にも似て、場や生命との、不思議な一体感を感じた。
植物の造形は、それぞれの植物のDNAに記されたプログラムに基づいて生成されるという。それぞれの種が独自の体系を持ち、その設計図に沿って土、水、空気から必要な材料を取り出し身体を作り出してゆく。
長い人類の歴史に寄り添いバリエーションを獲得した種もあるのだろう。ヒトの手による選択的な交配を繰り返し、加速度的に進化した植物は、農業の歴史の初期段階から存在しているであろう。
前段階として、捕食、共生など、ヒト以外の生物の行動習慣の変化がまた別の種の進化の系統樹を書き換えることはあったかもしれない。
多くの植物は太陽という存在と、光を介して直接的な関わりを持つ。
駐車場で空を見上げる。この場所は、少し宇宙に近い。